2012年振り返れば・・・ [思い出]
2012年もあと残すところ2週間ちょっと。1年が過ぎるのが早くなりましたねえ。小学校の頃は6年間終わるのにものすごい時間がかかったような気がしましたが、大人になるとまさに光陰矢のごとしです。さて今年1年を振り返って今年の10大ニュースを作ってみたいと思います。今回はその前振りの振り返りをば。こういうときにブログは便利ですね。いつ頃何をやっていたか大体わかります。まあ自転車関係ばかりですけど(笑)。
1月:142.9km
・出水散策(すいすいさんと武家屋敷や禅寺を周りました)
・鹿児島神宮初詣ポタ
2月:90.2km
寒さのせいでしょうか?2月はどこ走ったかもわからないくらい走ってませんね(笑)
3月:213.5km
・宮崎アースライド(雷雨の中110km走り、こーじさん親子とととろさんはまちゃんと初めてお会いすることに)
4月:352.9km
・この月から固定ローラー台導入です。一気に自転車に乗る回数が増えています。
・ととろさんと伊集院~吹上ポタやってますね。
5月:431.9km
さすがにいい季節。距離が伸びてきています。
・垂水~志布志ポタを敢行。風さん、tanさん、すいすいさん、ととろさんと初夏の大隈を楽しみましたね。
6月:222.2km
人間ドッグも終わり少し中だるみ。まあ天気も悪かったんですけどね。桜島の火山灰が酷かった頃ですな。
7月:261.1km
7月は、これじゃいかんと気合を入れなおして正円の池ポタと空港ポタを敢行。これもすいいすいさんと一緒だったですねえ。こんなことやってるから「あんたたちゃー何かおかしいんじゃない?」って言われちゃうんですねえ(笑)
8月のイベントに備えて姫路から自走でやってきたアホ豪脚がいましたよね。もう本当びっくりしましたよ。冗談だと思ったらいましたから。あまりにも急すぎて何も御もてなしできなかったのが心残りですね。
8月:224.6km
今年最大のイベント、人気ブロガー集結「南薩ライド」を開催しました。これによりFuelさんCharingoさんとお会いすることも出来ました。台風来てたけど楽しかったですなあ。ネタも豊富だったし(笑)。これに懲りずに来年もまたいらしてくださいねえ。
9月:109km
9月は天気が悪かったですかねえ。ツールド南さつま以外は殆ど走っていません。今年は台風も多かったような。
10月:244.5km
tanさん還暦記念ライドってのをやりましたね、本人いなかったけど(笑)。
それから40年ぶりの妙円寺詣りもやりましたな。久々の10kmウォーキングで足腰はがたがたになりました。
11月:235.3km
ツールドおおすみがありましたね。今年はまたここで多くの方と知り合いになりました。福岡のS本組長やダイさん、今井さん、パンパンダーニさん、コボさん。そうそうイベントのたびにあのリカベントライダーの沈寿官窯の職人Potterさんともお会いしています。
12月:?
今月は忘年会が多すぎるのと週末の天気が悪すぎて殆ど走れそうもないですね。おそらく100kmくらいかな。年間どれくらい走ったのでしょうね?12月を100kmとして2628.1kmかあ。確か今年の目標ってのを掲げていたんですよね。
★年初の目標
1)250km/月、年間3000km以上達成・・・×
2)200km越えのロングライドを1回以上・・・×
3)宮崎アースライド、ツールド南さつま、ツールドおおすみの参加・・・○
4)体脂肪20%以下の達成・・・×
5)朝日山ヒルクライムのタイム短縮(23分⇒20分?)・・・×
何と1勝4敗ですよ。うーむ、まあ言うだけ番長ですからねえ、ハハハ・・・
来年は1個でも増やせるように頑張りたいと思います。
この夏一押しの思い出 [思い出]
まだまだ暑い日が続きますが、8月の楽しかった思い出をSONYのブルーレイレコーダーで編集してみました。こうして音楽をつけると同じ写真でもまた面白いですね。
夢の中で [思い出]
私がまだご幼少の頃、といっても小学6年生でしたがJ君という真面目な男の子が転向してきました。お父さんは転勤族で大きな広い庭のある社宅に住んでいました。東京から転校してきた彼は成績もよく人懐こい性格だったのですぐに友達もできました。お母さんも非常によくしてくれて我々田舎者の子供たちを家に上げ都会の洗練されたおやつをよく作っていただきました。遠足なんぞ行くとJ君がお母さんお手製のカツサンドなんぞを「食べる?」とか言ってくれてよくお裾分けをしてもらってました。カツサンドなんてこの時食べたのが初めてでした。そのJ君が唯一苦手だったのが体育。特に水泳が駄目でプールサイドで縮み上がっていたのを昨日のことの様の思い出します。私も駄目なほうでしたが彼は更に恐怖心があるようでしたね。父兄参観のときにこのことが話題になったようで彼のお母さんは担任の先生から「お宅の息子さんはひっかぶい」と言われたそうです。実は彼の家にいつものように遊びに行っているときにこのお母さんに訊かれたのです。
J君のお母さん:「○○君、鹿児島弁でひっかぶいってどういう意味?」
私:「弱虫っていう意味です」
これを聞いたJ君のお母さんはどこか悲しげで怒っているようにも見えました。そりゃあそうですよね。このときの感情は実は今でもよく覚えていて時々意味もなく夢に出てきます。きっと潜在意識に埋め込まれているのでしょうね。潜在意識といえば先日放映されたレオナルド・デカプリオと渡辺謙の「インセプション」。訳がわかりませんでしたね。夢の中で夢を見て更にもう1階層降りた深いところで夢を見る。その中で他人の潜在意識を盗み見たり、別な意識を植え付けたりするというお話でしたがSF好きな私でもちょっとついて行けない話でした。他人と同じ夢を共有してその中でまた更に夢を見るなんてね。映像の奇想天外さはぴか一なんですがストーリーの論理性がねえいまいちでした。
宇宙貨物船ヤマト? [思い出]
先日YouTubeを眺めていたらこれまで知らなかったものを見つけたので紹介します。これ知ってる人の間ではよく知られた話なんでしょうけどね私は全く知りませんでした。
クロネコヤマトのCMを宇宙戦艦ヤマトのアニメを使って作っているのですがこれは復活編。他に1と2があるようですが松木零次さん監修になっていて当然パロディなんですがよく出来ています。埋め込みコードが無効になっていますので直接掲載はできませんでしたので興味がある方は下記URL観てみてください。結構なお金がかかっているように思います。
ところで本物の宇宙戦艦ヤマトですがこの復活編の原案を考えた人の中に石原都知事がいたのにはびっくりしました。企画段階で入っていたんでしょうね。
最近こういうスケール感のアニメが少なくなりましたね。ゴールデンタイムにやっても視聴率が稼げないのかアニメ作るのにお金がかかり過ぎるんですかね。是非こういう大作をまたチャレンジしてみて欲しいですね。
ところで昨日の記事についてですが問い合わせが殺到し一時回線がパンクしかけましたので可及的速やかに事実をお伝えしようと思います。このままでは金髪の左利きの絵描きを探して放浪の旅に出かける可能性のある方が数名いらっしゃいますので・・・。下記のURLのサイトを見てみてください。映像をアップするだけで無料で簡単に作れてしまいます。
面白いですね。シカゴにお住まいのノリダーさんから教えていただきました。
http://blog.goo.ne.jp/naniwanorider
懐かしい曲と久しぶりの人 [思い出]
先日ラジオから懐かしい曲が流れていました。ふと聞きたくなってYoutubeを検索してみると今本当便利ですね。
☆縁切寺(グレープ)
まるおさんのポタ記事にもありましたねこの辺りの景色が。美しいところです。中学生の頃だったと思うのですが意味もわからずにこういう重たい曲が好きだったんですねえ何故か。
それからTVを観ていたら久しぶりにこの人が出ていました。それもパフォーマーとして。
☆ワールドオーダー
このメンバー、リーダーの須藤元気は当然として全員相当体を鍛えていますよね。こういう動きは並みの体では不可能ですよ。格闘家として活躍していた須藤元気、こういうパフォーマンスもやりたかったことらしく思いきって飛び込んだみたいですよ。それも日本国内だと格闘家が片手間でやっていると思われるので海外で勝負しようと最初から海外で活動したみたいですね。これがいい作戦でした。日本にはこういう芸術の領域を正しく目利きできる興行師が少ないように思います。TV局なんか全く駄目ですもんね。今回も海外で先に火が付いて逆輸入という形で日本でも認められたとか。これからデビューを目指す方、こういうやり方もありですよ。(ウクレレサイクリストもどうですか?)
薩摩兵児謡 [思い出]
最近焼酎「黒伊佐錦」のTVCMで懐かしい歌が流れます。きちんと聞いたことはなったので歌詞を全部は知らなかったのですがこんな歌だったんですねえ。
聞いたことがある方もいらっしゃるかもしれないですねえ。薩摩の男の心意気を歌った歌ですね。外見にとらわれず実を取るというところでしようか。
焼酎のCMバージョンはこちら。
バラバラ [思い出]
先日の記事で思いだせない昔の歌のことを書きました。いろいろ調べてようやくわかりました。
ドイツのバンドでレインボーズ。彼らの歌う「バラバラ」でした。「アぺリべリバラバラ、アぺリべリべリバラバラ、アぺリべリバラバラ、オー、バラバラ」じゃなくて「My baby baby bara bara」って歌ってるそうです。それにしても懐かしい。中学生くらいの頃に実家の店番をしているとラジオからよく流れていました。単純なメロディーに単純な歌詞。
覚えのある方は私と年齢が近いかな?
春うらら [思い出]
春の歌といえばいろいろと思い出がありますねえ。
先日ANAの機内では珍しいこの人の曲が流れていました。
田山正充「春うらら」
妙に懐かしくついついYouTubeへ。これを知っている人はかなりご年配。
昔はもう少しふっくらぽっちゃりしていたような。
NHK学校音楽コンクール [思い出]
今から41年前、小学校の4年生の時に合唱部にいました。私がいたのは鹿児島市立八幡小学校。ここは放送教育に力を入れている小学校でこんな昔から各教室にTVがあり校内放送でお昼休みに自主制作の校内ニュースを流したりしていました。全校生徒、授業の前に話し方教室みたいなものがあり、まるでNHKのアナウンサー教育のように早口言葉や発音の練習をやってました。
一方音楽教育も盛んでNHK学校音楽コンクールの県大会ではいつも1位か2位に出てくるような強豪校になっていました。子供頃から歌を歌うのは大好きで桜島フェリーの客室でも大きな声で橋幸夫の歌などを歌っていたそうです。体は小さかったのですが声が大きく物怖じしない性格だったので合唱部のテストを受けるように音楽の先生に言われたのだと思います。課題の曲は音楽の教科書に載っていた「ヨット」。
『ヨット』
作詞:さとう・よしみ
作曲:湯山 昭
波をけって うねりをのりこえて
白い帆のヨットが 走る走る走る
海は広い 広くて青い
風のうたは ピープー
カモメのうたは ギィヨギィヨ
風をうけて ななめにかたむいて
赤い帆のヨットが 走る走る走る
海は広い 広くて青い
風のうたは ピープー
カモメのうたは ギィヨギィヨ
1小節歌わせて合否が判定されます。マンモス校でしたから100人近く受けに来ていました。見事合格したのですが練習は大変でした。夏休みは殆ど潰れます。腹式呼吸のトレーニングやボイストレーニングをかなりやってました。鹿児島大学の声楽の教授が指導に来たり結構熱が入ってましたね。当時は遊びに行けないのが不満でしたけど今思えば貴重な経験でした。私がコンクールに出場したのは昭和45年と昭和46年。昭和45年の課題曲は「空がこんなに青いとは」(岩谷時子さんの作詞です)。とてもいい歌詞で今でも大好きです。自由曲は「若い鳥」。こちらは詳細わからないですね。検索しても出てこないです。
知らなかったよ 空がこんなに青いとは
手をつないで歩いていって みんなであおいだ空
ほんとに青い空
空は教えてくれた 大きい心を持つように
友だちの手を はなさぬように
知らなかったよ 空がこんなに青いとは
なぜかしら悲しくなって ひとりで見上げた空
とっても青い空
空は聞かせてくれた 風にも負けない雲の歌
ひとりでも もうなかないように
何だか元気が出てきませんか?もう独りじゃないよって空が教えてくれます。
八幡小学校の合唱部でお世話になった江上先生、西中川先生、一緒に歌ったみんな元気でいるでしょうか?懐かしいですね。小学校の思い出でした。