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白い鳥居の謎 [史跡]

 先日の南薩ポタでご紹介した白い鳥居。吹上CRを走ると自然と目に入る目立つ存在ですがあの鳥居について少し調べてみました。

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この神社、久多島神社(くたじまじんじゃ、又はくたしまじんじゃ)というそうですが、

御祭神は

  • 久多島神(クタジマノカミ)
  • 建御南方命(タケミナカタノミコト)
  • 火産霊命(ホムスビノミコト)
  • 宇迦魂命(ウガミタマノミコト)
  • 事代主命(コトシロヌシノミコト)
  • 大山積命(オオヤマヅミノミコト)
  • 仲哀天皇(チュウアイテンノウ)
  • 神功皇后(ジングウコウゴウ)
  • 応神天皇(オウジンテンノウ)

とまあ神話の世界ですな。神社本庁のHPによると・・・

久多島神は、玉依姫命、又は天智天皇御子姫宮との両説があるが、詳しくはわからない。

伝説によると、天智天皇のお妃が開聞に帰られる途中、皇女を死産されたので遺体をオツワ舟に乗せ海にお流しになったところ、当時入江だった今の三宝園に流れ着いたので、村人は、遺体を手厚く葬り、オツワ舟を海に流した。舟は沖で沈み大岩が湧きだし、久多島が出来たという。そこで、村人は皇女の霊を島に祭ったが、島は遠いので遥拝するためにここに神社を建てたと伝えられる。明治四十二年六月二十二日無格社山之神社、同月二十九日村社南方神社、無格社愛宕神社、同年七月三十一日無格社稲荷神社、同四十三年四月二日無格社八幡神社を合祀した。

吹上町の教育委員会によると、久多島は吹上浜の沖合12キロメートルに浮かぶ無人島(高さ29m、周囲1380m)である。その昔、天智天皇のお妃が沖合で皇女を死産され、死体を船に乗せて流したところ船が沈み、大岩が湧き出した。これが久多島で、皇女の御霊を慰めるために久多島神社を建てたと伝えられる。毎年、永吉の産土神の祈願祭が行われるが、特に旧暦6月15日夏祭りに行われる、(永吉川筏下り)は夏の夜の風物詩としてにぎわっている。いつごろ建てられた神社なのかよくわからないみたいですね。昔このあたりは海産物と焼酎作りで財を成した豪商が居り村人もそれなりに潤っていたところみたいですから当時は金もありこういうものも作れたんでしょうねえ。

ところでこの白い鳥居の謎ですが、よくある赤い鳥居は魔除けのため。白い鳥居は神聖な場所を表すそうです。でもって白い鳥居があるのは基(御祭神の基)があるということらしいです。神と崇められし人だったりものだったりするそのものが祭られていますよってことなんでしょうか。一度あの奥に行って見ないといけないですね。


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鹿児島神宮と十三塚原 [史跡]

 先週土曜日に訪れた鹿児島神宮。昔の国分市今の霧島市に立つこの神社は古くは国分八幡と言われていましたが大分の宇佐八幡との間でいざこざがあったようです。

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そのいざこざとは宗教論争だったようで、鹿児島神宮と宇佐神宮どちらが正統の八幡宮かということでかなり壮絶なことが起こったようです。Wikipediaによれば1132年(長承元年)あるいは1527年(大永7年)11月、宇佐八幡の神官14名が鹿児島を訪れ国分八幡の古文書を調査し、正統性は疑わしいとして社に火をかけた。ところがこの火災の煙が「正八幡宮」の文字を示したことから神官たちは驚きあわてて逃げ帰ろうとした。逃げる途中、台地上の大木の下で休んでいたところ、木が倒れて下敷きとなり13名が死亡、残された1名も宇佐八幡に戻って顛末を報告するとともに死亡した。死者のために13基の塚が建てられたという。もちろんこれは伝説であってそういう祟り的な話になっているわけですが実際鹿児島神宮で放火による火災があり重要な書物や古文書が燃えたこと、十三塚原に13人の首塚があることは事実のようです。実際は13人の神官はこの辺りを警護していた武士に切り殺されたものと思います。この首塚昨年末に探しに行ったのですが見つけられず今年のポタのテーマの一つになっております。

こういうおどろおどろしい話は全国探せばいくらでも出てくるものでしょうけど、調べていくと意外と面白い地元の話が聞けるものです。歴史は勝者によって都合のいいように華麗に書き換えられていますので古文書だけで全てを鵜呑みにすることはできませんが自転車で旅しながらこういうものを調べていくのも楽しいですね。それにしても知らないことの多いこと。地元の鹿児島でさえもこうですから世界を回るともっとすごいことがあるんでしょうね。皆さんもそれぞれの地方のこういうお話知っていたら教えて欲しいと思います。

 


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越前島津氏の墓と城跡 [史跡]

  以前から気になっていた地元の史跡。折りを見て自転車で周ったりしていたんですがまだまだ観ていないところあるんですよねえ。うちから自転車で10分ほどのところにある重富小学校。

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重富小学校は元々島津義弘公の別邸平松城があったところで現在も学校の石垣は当時の城の石垣がそのまま残っている。

小学校の正門は旧鹿児島県庁の門を移設したものらしく西南戦争の直後に作られたものらしいですよ。

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上の説明文にある岩剣城ですがその城のあった場所がこの山です。

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Wikipediaによると

天文年間、祁答院良重は菱刈隆秋蒲生範清と組んで島津貴久に反旗を翻した。天文23年、菱刈、蒲生連合軍が島津側の武将・肝付兼演の居城である加治木城を攻め、貴久は加治木城を救援するため祁答院良重の住む岩剣城を息子の島津義久、義弘(当時「忠平」)、歳久に攻めさせる。岩剣城は三方を断崖に囲まれた天然の要塞であり、良重もよく籠城して耐えたが、救援に来た蒲生範清が島津側に撃退されると孤立無援となり、最後は籠城した女性が化粧道具を投げてまで応戦したが多勢に無勢は明らかで、ついに良重主従は岩剣城を捨てて本拠のあった祁答院(現薩摩川内市祁答院町)に逃亡し、岩剣城は落城した。残された女性は城の断崖から身投げして自害したという。

この城がなかなか落城しなかったのは、麓の岩剣神社の加護があるからだとして、御神体を白銀坂にある島津氏の本陣に勧請して「戦いに勝利を収めたら、毎年例祭日に神舞を奉納しよう」と願を立てたところ、その夜のうちに城から敵勢が逃亡し落城したとの伝がある。

その後、この城の城代に島津義弘が任命されて入城したが、城の立地はあまりにも不便であり、麓に「平松館」を築いて、その後永禄7年に飯野城に転出するまでここを本拠とした。義弘が転出した後の岩剣城と平松館の状況は不明である。

文禄頃には義弘の娘で島津朝久未亡人となった御屋地とその子供がこの平松館に居住していた。

慶長11年、義弘は再びこの平松館を居所とするが、わずか1年後の慶長12年には加治木館に転居し、岩剣城は実質的に廃城となった。

平松館は元文2年に島津継豊の弟・忠紀が越前島津家を再興したときにその居館となり再建される。その後明治まで使われていた。ちなみに最後の住人は島津久光の子息・珍彦である。

ということらしいです。重富小学校の周りは昔は旗本や家来の家臣たちが住んでいたんでしょうね。少し当時の雰囲気が残っているような。

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案内板を観るとまだ行っていない史跡がいっぱいあるんですよね。

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越前島津=重富島津なんですね。今日そのお墓に行ってきました。こんな近くにあるとは知りませんでした。

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この碑は明治10年に起こった西南戦争に、重富から薩軍側として従軍し、戦死した人々の霊を祭るため、明治12年7月に建立されたそうです。

郷土史の資料によると重富からの従軍者は166名、戦死者は61名ということです。

この碑の横に越前島津氏のお墓があります。歴代の藩主は鹿児島市内にある照国神社に祭られています。

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島津久光の奥方の墓もあります。こんなに近い場所にこのようなお墓があったとは驚きです。

帰り際にこんなものを見つけました。ライバル出現!ですがそれにしてもまたもや案山子とは。

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もう晩秋ですね。マリゴールドが綺麗です。

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猫の親子。この母親は根性ありそうですなあ。

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隼人ポタリング [史跡]

 10年ほど前、MTBもどきを買い姶良市からお隣の霧島市(当時国分市)まで乗ったことがあります。私の通勤路にあたりますがEscapeでは一度も行ったことがありません。今朝は曇っていましたが行ってみることにします。

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加治木峠(国道10号)です。ここを抜けると霧島や宮崎に行ける交通の要所です。8.6水害の時はここが崩れて会社にかなり迂回しなければ行けない状況が長く続きました。

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しばらく行くと加治木島津家の墓があります。

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10年前はMTBもどきではありましたが、かなりきつい感じがしてこれを毎日は無理だなってのが正直な感想でした。ところが今朝は「あれ?」って感じで頂上を越えてしまいました。それもギアをフルに使いきらず3段ほど余裕を残して登板できました。SPDの威力かもしれないですね。峠を越えてしばらく下ると新しいバイパスへ抜けます。またここからしばらく登りです。

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あのトンネルを抜ければ下りのはずです。こんな感じで登ってきました。

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霧島市に入ると隼人町の隼人塚を目指します。隼人塚は熊襲の祟りを鎮めることを目的に和銅元年(708年)に作られたとか養老4年(720年)の隼人の反乱の死者の魂を鎮める目的で作ったとか諸説あるようです。

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↓クリックしたらかなり大きくなります。0002.JPG

 

 

 

 

 

 

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ここは公園になっているのですが草ぼうぼうで最近あまり整備されていないようです。これももったいないですね。日本書紀の頃の遺跡ですからもう少し大事にしてもらいたいものです。隼人塚を見たら次は天降川(あもりがわ)です。上流には安楽温泉や妙見温泉の霧島温泉郷があります。全国的に有名な石原荘や忘れの里「雅叙園」もこの温泉群です。

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下流の水質もかなり改善されカモたちも嬉しそうです。

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川沿いに建つホテル京セラのこの建物は建築家の黒川記章さんのデザインです。もうお亡くなりになりましたが最近ソフトバンクのCMで御活躍の若尾文子さんのご主人でしたね。都知事選に立候補したり晩年はよくわからないおじさんでした。この建物は横断面が楕円で周囲の壁面で支える構造になっていて中心に柱は全くありません。当時は非常に奇抜な建物でさすがだなあと思った次第です。

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とここまでは良かったんですけどね。帰りのダウンヒルで錦江湾が綺麗に見える場所をみつけて一枚撮ろうとブレーキかけて縁石に左足を乗せようとしたら足が外れません。「しまったー、ビンディングペダル外してなかった」と気付いたときは時既に遅くそのまま立ちゴケです。左ひじの擦り傷と左手首の打撲だけで済みましたが帰りが右腕一本で帰ってきたので倍くらいの時間がかかりました。ビンディングしているときにはカメラや関係のないことはなるべく考えないようにしないといけないですね。

T:2時間12分、D:36.0km、A:16.3km/h、M:41.9km/h、O:1109.3km

 


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竜ヶ城磨崖一千梵字仏蹟 [史跡]

  今朝の早朝ライドは姶良市の蒲生町にある竜ヶ城磨崖一千梵字仏蹟です。先日の住吉池の近くですがこれがわかりにくい。おまけに道が全く整備されていないので訪れる人もあまりないのでしょうね。

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この先になるのですが薄暗くて気味が悪い所です。おまけに横の藪からマムシが出てきて早々に退散してきました。

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で、これだけだと竜ヶ城磨崖一千梵字仏蹟なるものの意味がわからないので姶良市のHPから記事を拝借しました。以下引用文です。蒲生氏の本城であった蒲生城(現在の城山)の岩壁に約120mにわたって梵字が刻まれています。梵字の数は、1700にもおよび、一か所にまとめられたものとしては、日本最多の磨崖梵字であると言われています。でももう少し整備しないといけませんね。せっかくの史跡がわけがわりません。

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最近少し涼しくなったので今日はもう少し走ることにして海側へ走り始めました。加治木港の対岸の堤防脇の道を目指します。

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今日は曇っていて桜島が殆ど見えませんね。

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パノラマ撮影してみましたが桜島がないのでイマイチですね。やっぱり鹿児島は桜島がないと。

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 気を取り直していつもの思川CR(すっかりこの名称になってしまいましたが正式ではありません)に戻ろうと走っているとあら?

以前私が蔵王岳と紹介した山が。これは蔵王岳ではないですね。Googleで調べてみると湯湾岳とあります。

湯湾岳

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こちらが本当の蔵王岳です。すみませんでした。

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思川周りはもうコスモスが。これはキバナコスモスかな?

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T:2時間5分、D:38.3km、A:18.3km/h、M:30km/h、O:880.4km

 

 


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龍門司坂 [史跡]

 雨も上がり路面も乾いていたので今朝は加治木の龍門司坂まで走ります。以前紹介した龍門の滝の奥にある石畳の坂です。龍門司坂は寛文12年(1635)に造られ、元文6年(1741)頃に石敷に整備されたそうです。全長が1,500mの坂道で、現在は約500mが当時の姿で残っています。苔むした石畳と杉木立の中に道沿いに咲くドクダミの白い花やツワブキの黄色い花が演出する情緒たっぷりの坂道で『歴史の道百選』にも選ばれているようです。
近くには、『日本の滝百選』の「龍門滝」や滝を観ながら入浴できる温泉施設,鹿児島湾にそびえる雄大な桜島を眺望する展望所、薩摩焼(龍門司焼)の里に造られたスポーツと陶芸体験施設「陶夢ランド」や「さえずりの森キャンプ場」など多彩な人気スポットが集中しています。NHK大河ドラマ「跳ぶが如く」の舞台にここ加治木町がなっていたことは以前報告しましたがこの龍門坂がロケ地になったようです。90年の放送なので若い人は知らないようですが結構当時は人気があったようです。

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 近代的な道路が整備されるまでここが主要幹線のひとつでしたから島津の殿様や西郷、大久保、ひょっとしたら坂本竜馬もここを通ったかもしれませんね。ちょっとピンぼけしちゃいましたね、すみません。

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私の住んでいる姶良市は姶良カルデラの断層南西端になります。惣林山(450m),天ケ鼻(429m)などに囲まれ緑のきれいな街です。時間があればは姶良カルデラについて調べてみたいと思います。

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左が惣林山、右が天ケ鼻でしょうかね。ここに住んで20年になりますがあまりよく知りません。

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今日の桜島です。5分くらい前に噴火してました。今日は風向きから鹿児島市内ですね。

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思い川の真中にシラサギがいるのが見えますかね?朝は静かにしていますが夕方から夜にかけてとんでもない声で鳴きます。そうまるで笑い袋のような。専門家の話では仲間に「もう帰ろうよ」と呼びかかているらしいです。独りで帰れないやつのようですね。

今日のデータ T:1時間16分、D:23.0km、A:18.0km/h、M:27.1km/h、O:494.4km

 

 


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日本山宝塔と伊勢神社 [史跡]

 昨日の朝トレの途中で珍しいものを見つけたので載せておきます。日本山宝塔というらしいです。昔の豪族の夫婦の墓とも言われていますが詳細は不明です。鹿児島県では2番目、九州では6番目に古い宝塔だそうです。

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 鎌倉時代のものらしいですが、宝塔の側面に書いてある梵字の意味が説明文に書いてあります。元々は南側に「仁治参年(1242年)」、北側に「寛元元年(1243年)」の銘文が書いてあったらしいですが今は風化していて見えません。金剛界四仏を表す梵字と胎蔵界四仏を表す4つの梵字が側面に見れます。こういうのも自転車で通ることで気付くからこそですね。車では気付きませんね。

 もうひとつが加治木にある伊勢神社。天照大御神を祀っているそうですが島津義久公とも関係があるようです。鹿児島で伊勢と聞いて、あれ?と思ったのですが結構あちこちにあるようですね。

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 まだまだ知らないものや観たこともないものが沢山ありますね。


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武家屋敷通り [史跡]

 今朝は蒲生(かもう)の武家屋敷通りまで。畳の原料として使用した蒲草が繁茂していたことから「蒲生」という地名が付いたとされている。江戸時代は今の役場付近に仮番屋がありこの辺り蒲生の士族が住んでいたらしい。知覧の武家屋敷群ほどは規模は大きくないが屋敷には今も人が住んでおり姶良市も整備を進めている。生垣が綺麗に手入れされ当時の雰囲気を味わうことができます。

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 もう少し詳しい説明を書いた案内板でもあれば当時の武士の暮らしぶりや歴史的な背景も理解できてもっと楽しめると思う。姶良市の観光課に頑張ってもらいたい。庭を観れるといいのですが、公開はされていないようです。

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 今日は走行時間:1時間31分、走行距離:28.3km、平均速度:18.6km/h、最高速度:32.1km/h、積算走行距離:378.7km。

 


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山田の凱旋門 [史跡]

いやーあ、久しぶりの自転車でした。降灰と雨と台風のトリプルパンチで今週月曜から木曜まで走れませんでしたから。こういうの続くとせっかくのダイエットもリバウンドしそうですよね。今日から休みですが朝5時に起きたらぽつぽつと降っているではないですか。6時になってだんだん空も明るくなってきて少しまだ降っていましたが走ることにしました。

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 今日は前から行きたいと思っていた姶良市山田の凱旋門までの往復です。カーナビでは18kmとなっていましたから私の朝トレにはうってつけです。途中雨に降られることもなく無事に着きました。地元にこんな史跡があったなんて。この凱旋門、日露戦争の戦勝記念に建てられたものでこの地域の戦争に行った人たちが無事に戻ってきたことをお祝いしたそうです。日本にはこのレンガ造りの凱旋門はここ姶良市と浜松市にしかないそうです。門の奥には展望台もあるようですが自転車の鍵を忘れてきたので上りませんでした。

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 山田川という川ですが非常に綺麗です。こんな景色も車で移動しているとなかなか気付かないですね。小雨の中、来た甲斐がありました。

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 今日のデータです。平均速度:17.8km/h、最高速度:28.1km/h、走行距離:18.98km、積算距離:259.6km。やったーようやく250kmいきました。次は300kmですね。

 


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