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鹿児島神宮と十三塚原 [史跡]

 先週土曜日に訪れた鹿児島神宮。昔の国分市今の霧島市に立つこの神社は古くは国分八幡と言われていましたが大分の宇佐八幡との間でいざこざがあったようです。

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そのいざこざとは宗教論争だったようで、鹿児島神宮と宇佐神宮どちらが正統の八幡宮かということでかなり壮絶なことが起こったようです。Wikipediaによれば1132年(長承元年)あるいは1527年(大永7年)11月、宇佐八幡の神官14名が鹿児島を訪れ国分八幡の古文書を調査し、正統性は疑わしいとして社に火をかけた。ところがこの火災の煙が「正八幡宮」の文字を示したことから神官たちは驚きあわてて逃げ帰ろうとした。逃げる途中、台地上の大木の下で休んでいたところ、木が倒れて下敷きとなり13名が死亡、残された1名も宇佐八幡に戻って顛末を報告するとともに死亡した。死者のために13基の塚が建てられたという。もちろんこれは伝説であってそういう祟り的な話になっているわけですが実際鹿児島神宮で放火による火災があり重要な書物や古文書が燃えたこと、十三塚原に13人の首塚があることは事実のようです。実際は13人の神官はこの辺りを警護していた武士に切り殺されたものと思います。この首塚昨年末に探しに行ったのですが見つけられず今年のポタのテーマの一つになっております。

こういうおどろおどろしい話は全国探せばいくらでも出てくるものでしょうけど、調べていくと意外と面白い地元の話が聞けるものです。歴史は勝者によって都合のいいように華麗に書き換えられていますので古文書だけで全てを鵜呑みにすることはできませんが自転車で旅しながらこういうものを調べていくのも楽しいですね。それにしても知らないことの多いこと。地元の鹿児島でさえもこうですから世界を回るともっとすごいことがあるんでしょうね。皆さんもそれぞれの地方のこういうお話知っていたら教えて欲しいと思います。

 


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